Japan - An Open Society?
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Lambert, Bruce Henry. [1986] "日本は開かれた社会か"
国際問題討論会: ザ・フォーラム '86.
(入賞者論文集; 監修: 外務省) 東京: 日本外交協会, pp 106-110.
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私は、日本に住んでもう五年以上になりますが、その間に外人として色々な事を経験してきました。私の立場から日本を見ると、自国中心の点が特に目立ちます。それは、日本人がよくいう島国根性という言葉だけでは十分に説明できないと思います。イギリスも島国ですが、そのような自己弁護はありません。ハワイではアロハ精神がありますので、島として太平洋の中にあって、日本の立場と比べて、大変違うだろうと思います。結局、島国根性よりさもしい根性のほうが正しい言葉だろうと思います。 日本社会は単一民族で構成されているようです。それがどのぐらい重要かは根底の深い問題です。日本ではよく自国中心の考え方があって、色々な言動は世界観として、日本の自己陶酔とも言えます。日本には昔から「尊王攘夷」、「和魂洋才」、「大和魂」、「大和撫子」、「島国根性」、「我々日本人」というような色々な言葉があります。明治時代の「お雇い外人」のイメージがありましたので、現代用語として「変な外人」という言葉もあります。 私と一緒に日本に来た同じふるさとの友達は昨年NHKのテレビ番組に出ました。八人の外国人は幼稚園のような服装で、一週間の間日本語教室のような授業を受けました。諺、日本にある変な物、言葉遊び、と色々出て来ました。四年以上日本に住んでいましたから、かなり答えがよく分かりましたが、幕裏で、司会者が言ったことは「正しい答えを出さないように、面白い答えを出して下さい。」そして、皆が出来るだけ馬鹿みたいな答えを出しました。しかしある時、我慢できなかったので、正しく答えました。彼から直接聞いたのは「日本全国の人の前で真面目に馬鹿のような真似をしていたら、本当に馬鹿になります」。そういう番組はまだ人気があります。友達はまだ日本の勉強をしていますが、日本国内ではなく、ハワイ大学院のアジア研究科でやっています。彼は来日する前は日本に対してとても良い印象を持っていたんですが、このように日本に対して悪い印象を持ったまま帰国することになれば、それは本人だけの問題でなく、日本を知らないもっと多くの外国人にも悪い先入観を与えてしまうことになります。出来れば、友好的な事を助長した方がいいだろう。 外国の人は日本の事を深く勉強すればする程日本社会に対して異質の壁に突きあたるような感じで、受け入れて貰えない寂しさを感じます。よく日本の事を覚えたら「変な外人」という事になり、あるいは「日本人より日本らしい」と言い、彼らは自責と合わせて称賛します。話題の例として、日本料理ではどんなものが食べられますか。例えば、納豆とか梅干とか、その答えによって日本の社会になじんだ程度を計る物差しにしたりします。「やっぱり外人だ」ということをかんたんに見付けられないと、ある程度失望しているようです。日本について何も知らない観光客が一番歓迎されるだろうと思います。日本は出来るだけ早く、将来のために、外国との関係をもっと深くしなければなりません。フレッシュな感じが必要です。かなり積極的に取り掛からないと社会のエネルギーは無駄骨を折ります。 日本に住んでいる外国人だと何回も経験しているはずですが、銀行やデパートのカウンターに近づくと、店員達はさも忙しそうに目をそむけてしまいます。避けられないと分かると「いらっしゃいませ」と言いながら近づきますが、その態度はまるで怖い物にでも近づくようです。「外国語だったらどうしよう」とか「恥をかいたらどうしよう」と殆ど、どの場合でも自分の殻の中に閉じこもってしまいます。相手を出来るだけ安心させてコミュニケーションしたい事が日本語を勉強する有力な理由です。日本語を上手に話せば、相手の見方が急に変ってきます。そして、いったん親しくなればその次からは他の客よリもずっと親切に接してくれます。 日本はよく外国から「日本は不公平」とか「日本は閉鎖的社会」などと批判されています。経済関係の規則は難しくて、特に必要な書類は大変複雑で同じ内容で何枚も作成しなければなりません。ただ、日本の企業も同じような大変な書類を提出しなければなりません。日本では煩わしい手続きが大体ついてまわりますので恐れ入っています。例えば、私の場合、最近筑波大学大学院の修士課程入学の関係で、入学出願書類と入学手続きと合わせて、説明書を四十八ページも読んだ後、書類を三十ページ作成しなければなりませんでした。授業料免除申込用紙と合わせたら、四十二ページになった。外国人留学生だけではなく、日本人学生にも同じような負担がありました。他の事ですけど輸出系あるいは輸入系の会社の問題はもっと大変だろうと思います。日本の役所の仕組が大変複雑で手続きも大変面倒だと思います。 平和で、そして豊かな国際社会のため、協力はもちろん必要ですが、お互いの立場を理解し尊重しあうことが最も基本的なことです。ただ交流はいつも自然発生ではない。どんな人でも、国内でさえ、もし知り合いと一緒に分からない所に行けば、お互いの不安を打ち消すために助け合うはずです。団体旅行はどの国でもふつうの形だろうと思われます。そのときに一人だけ勇気を出して他の行動をとることは難しく、また必要ではありませんし、普通はやりません。でも、交流のため、少しでも勇気を出せば、どんどん勇気を出すことに慣れるはずです。いつも心掛ける事が必要ではないだろうかと思われます。どの国民も他の国に行くと統合する事、親しくなるのは大変難しいことです。当然日本人にしかない問題ではありません。 徳川幕府は鎖国主義の政策をとりました。でもそれ以前、千年以上も前から日本は外国との交流の経験をもっていました。日本の歴史は、特にアメリカの歴史と比べて、かなり長くて、外国との交流がずっと前から色々ありました。アジア大陸から仏教と漢字とある芸術が数世紀も前に日本にやって来ました。和魂漢才という流れ、それから明治時代の和魂洋才という言葉はある程度日本の特性をあらわしています。ここで言う特性とは独創性のない事ではなく、日本人の根性とはどんなものであるか、いわゆる、戦前の「国体論」という問題です。どの国でも、愛国心があります。高慢な社会も世界の歴史に何回も出てきました。国際平和において一番困っている事は高慢派による影響です。もちろん他の問題も色々ありますが、外交が自己的になるとある攻勢が連続的な出来事を生じ、たちまち激しくなります。ある程度、広い見解が必要だろうと思います。でも自分の回りしか見えないで世界の事にはまるで無知な人が相当います。「私の国にももちろん四季があります。」と日本で言っても、信じない人がかなりいます。もう一つの例として「繊細な神経」という感じは人間的だろうと思いますが、どの社会でも、もし自分の社会の人だけに例えば審美感があると思ったら、困ります。 現在の貿易摩擦は非常に複雑です。その中の問題点を一、二点書きたいと思います。 一般的にどの国でも他の国の社会を見ると一体となっているように感じています。多分日本人の団体旅行者の一固まりというイメージから、本音と建前という言葉を少しでも聞くと、日本人の言葉が信じられなくて、日本は特に一体となって、丁寧な表面の下に陰謀を秘めた社会であると思っている人がけっこういます。アメリカ人の日本観がその程度ではどちらの国に対しても役に立たないと思います。ただ、日本では日本人とはどういうものかという話題が魅力的である。国体はどういう風かをもっとはっきりさせる事が国内の責任であると考えます。 もう一つの問題は政府が曖昧なことを言うより、はっきり物を言うべきであり、外から日本を見ると「なんて決断力のない国だろう。」と思われています。政府は他の国の出方を考えるから決断あるいは答えをなかなか出せません。「あーそうですか。直します。」といって引っ込めた後、もしすぐ変化がないと困る事が続きます。 そしてプラグマティズムによる政策選択を広げることはある程度危ないだろうと思います。もし決断力のない選択だったら、夢みたいな政策決定は何回も出来ますが、政策分析は科学的には出来ませんので。例えば、日本の農業は自足の域に達することが可能かどうか。自明の理です。だから現在の農政は「NO政」などといわれているのではないでしょうか。あるいは純血な日本のイメージを保ち続けようとしても、地球が狭くなった現在では無理があり、国際交流をいやでも広げなくてはなりません。政策の源としては事実を調べないと、やはり空想的か実行可能であるか分らないでしょう。 たった私自身の考えでは、日本は将来国家群の老練な専門技術委員になり、世界の指導者的立場になる可能性があると思います。日本は歴史がもうかなり長くて、他の国の顧問として、だんだん戦敗国より先輩国になり、気が大きくなったほうが良いだろうと思います。国際的な立場はスイスの独特性のようだったらどうでしょうか。 最後に、アメリカと日本の関係についてですが、ロンとヤスの様な付き合い方はある意味では危険かもしれません。私が言いたいのは二人の仲の良さばかりを強調するのは少し危険ではないかという事です。お互いに尊敬し合う事は大切ですが、でももしその二人の仲の良い関係が悪化すれば、アメリカと日本の一般市民のお互いの気持ちまで影響されるでしょう。もし本当に平和で豊かな関係に近づきたければ、この政治的な関係より社会の草の根までの人付き合いが必要だと思われます。 Bruce Henry Lambert, 1986 アメリカ合衆国 筑波大学大学院経営政策科学研究科研究生 |
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